Zwangsvollstreckung

執行とか、本とか、出来事とか。

肩身の狭さ

 

僕は会社員で、いわゆる新規事業の部署にいる。

その新規事業のなかでも、メインとなる役割を持っていて、社内では他の誰もやっていない仕事だ。

正確に言うと、その新規事業はツールを活用するもので、そのツールを導入する際に僕を含めた3名が2日間の研修を受けたのだが、あとの2人は途中でドロップアウト

結果として僕以外にその仕事をする人がいなくなったというものだ。

 

このあいだ同時期に会社に入った同期から、「君は社内でも唯一無二の存在だよね」と言われた。

どことなく、珍しいものを見ているような目と、ちょっとした羨ましさがこもっていると、素直に言ってくれた。

 

裏を返せば、成果がまだ出ていなくとも会社に存在していられるということなのだが。

これはこれで肩身が狭い。

そう思う瞬間が多々ある。

 

まず、社内で誰もやっていないということは、社内で仕事の辛さとか、どういうことをやっているのかという点で、共感をしてくれる人がいない。

そして、教えてくれる人もいない。

 

僕は社内でも立場が低いので、本当は上司に確認や相談をしながら進めていきたいのだが、確認や相談をしようにも

「あ、俺わかんないから。任せるわ」

と一言で終わるケースの方が多い。

 

いやまあ、ツールとかシステムのことはわからなくてもさ・・・。

大枠の方針くらいは言ってくれたっていいじゃん・・・。

毎回そんなことを思って、次第に僕も相談をする回数が減った。

 

そう言う意味で責任が発生していて、それはそれで面白いことだと思うのだが、

逆にいうと無責任な人たちの肩代わりをしているような感じがあり。

素直に喜べるようなものでは決してない。

 

当然、新規事業なんてうまくいかないもので、当初の予定よりも進捗がよくない。

次第に周りがイラついてきているのがわかるし、そのイラつきの矛先が僕の方に向くのは自然なことだと思う。

 

僕も僕で、期待に応えられていないのは申し訳なく思うし、最近はそれで結構参っていたのだが、僕の方からすると、「あなたがたももう少し、興味持ってくれていいんじゃないの?」とは思ったりもする。

あまりにも放置すぎるというか、なんというか。

 

仕事の内容を理解し、共有し、共感しあえるなら、困っていることに対して手を差し伸べやすいのはわかる。

けれども、僕の場合は、どうにもとっつきにくいらしく、仕事の内容を話そうとしても、そもそも聞く耳を持ってくれない場合が多い。

そういうとき、もはや頼れるのは自分だけ。

本当はこんな状況になるのはよくないし、そういう状況になる前に自分からアクションを起こさなければならないのだが、僕はそれに失敗した。

成功する見込みは研修の時点で「ないな」と思ったのだが、それでも失敗したことには変わりがない。

 

目印のない、暗闇の荒野の中をひとりさまよっている感覚だ。

 

もっとも、それはそれで面白いのだが。

 

たまに、とても辛くなるときがある。

 

ただ、この暗闇を抜けた先に、何が見えてくるのかはちょっと楽しみでもある。

もっとも、それがいい結果になるとは限らないが・・・。

それは、それでいい。

 

中身がない記事で申し訳ないが、中身のある記事を書いてしまうとそれはそれで問題になる。

ただ言いたかったのは、暗闇をさまよっている感覚に居続けることの心境についてだ。

 

暗闇の荒野の中で、進むべき道を切り開く覚悟を持たなければならない。

それはとても面白いことだと思う。

 

だがそれは孤独な戦いにならざるを得ないような気もする。

そして同時に、一人では生きていけないとも思う。

 

相反する感情が渦を巻く。

ワクワクするけれど、不安で仕方がない。

これはこれで面白いけれど、常に危険との隣り合わせだ。

 

そういう状況を、もっと楽しめるようになれればよいのだが。