Zwangsvollstreckung

執行とか、本とか、出来事とか。

わかりやすく説明する練習をしよう。伝え方を鍛える コミュニケーションを鍛える。

 

読んでみた。

 

 

最近、データ分析の仕事も本格始動してきて、必要だと思って手に取った。

うちの会社では、自社のデータ分析を新しく始めて、ツールも導入しているんだけど、どうにもシステムとか、アナリティクス関連になると、会社として知見があるわけでもなく、プレゼンしても伝わらないことが多い。

 

それはたぶん、僕の説明に「わかりやすさ」が欠けているからだろうなと思い、もっと簡潔に、相手に負荷をかけず、言いたいことを伝える方法はないものかと思って。

 

で、結論からいうと、この本自体、そんなに説明がわかりやすくはなかった(笑)

 

ただ、「説明」という行為が、例えば、「報告」や、「詳述」「定義」「描写」といった行為とどのように違うのか、といったところや、「説明」をパッケージングするときの、「説明の尺度」=相手のトピックに対する理解の深度の話はわりと参考になるかな、と。以下順を追って。

 

本書によると「説明」とは、

「人に情報を与えて、人の記憶に残る現実に役立つ観念へと事実を変換する、創造的行為である」ということ。

いま思うと、この一文自体がすげえわかりづらいのだが、まあ、端的な事実だけがそこにあると、物事に対する理解が難しいままになってしまうのだが、そこに「これは、こういうことなんだ」という説明を加えることによって、相手もそのトピックについて理解しやすくなるんだということ。

そうすることによって、相手にとっても、理解にかかるコストを削減することができる。自分で情報を仕入れなくてもよくなるという点で。

そうした説明を達成する上で、必要なのは、視点を働かせるということ。これは、相手の立場に立って、その視点に寄り添ったコミュニケーションをすることと同じ。いわば、相手の目線や気持ちに”共感”するような説明の仕方を心がけてあげるわけだ。道を訪ねてきたドライバーに、道を教えてあげるときのように。そういうとき、運転する人の立場に立って、説明をしてあげられれば、相手もイメージしやすいものだろう。

事実を変換する創造的行為というのは、説明の伝え方によって、相手がその対象へ抱く評価も変わることに関わる。端的にいえば、興味を持たせられるかそうでないかという話なのだが、それ自体が、ある物事の評価が説明に依存しているということだろう。

よく報連相系で言われることとして、上司は、部下の報告の上でしか現場の情報を把握することができないと言われるが、あれと同じだと思う。

説明の巧拙は、相手の物事に対する理解や印象、評価をそのまま作り出す。うまい説明とは、⑴背景をきちんと説明すること、⑵「なぜ?」に応えること(理由づけを説明すること)、⑶さらに知ろうとする意欲を生むこと、といった要素を含んでいるわけだが、それに加えて、⑷ストーリーを提示することも重要になる。

まあ、概念的な理解と、共感的な理解。その両面が必要と。

 

「説明の尺度」とは、相手のトピックに対する理解の深度だ。

本書では、相手の理解度をA→Zで示していて、Aに近づけば近づくほど浅く、Zに近ければ深いということになる。

理解の深度が浅ければ「なぜ?(why?)」を。深ければ、「どのように?(how?)」を説明してあげればよい。

で、相手の理解度がどんなものなのかは、単純に、質問をしてすりあわせればよい。

これは結構なるほど、と思った。

 

僕なんかは、データの説明をするとき、相手もさすがにベテラン選手なので、割と深いhowの説明をすることが多いのだけれど、そもそも相手はビジネスについては深い知識を持っているが、データ分析に関してはほとんど専門外だ。

なので、howの説明をされても、よくわからない、という反応が返ってくることが多い。むしろ、そうではなく、「なぜ」その分析が必要なのか、というところを解消してあげなければならなかったのかな、と。そうでなければ、相手の理解にかかる負担が増えるばっかりで・・・。

その点を振り返ると、自身の説明に対する未熟さを感じたり。

 

まあ、あと内容としては、説明が失敗するのは各論すぎるとか、説明をスムースに進めるため(相手にさっくり理解させるため)には、本質と関係ないものはすべてたたき切る(背景情報までたたき切ってはダメ)とかそういう話なんだが、そのあたりの話は別によく言われることなのでいいでしょう。

 

よく言われること、当たり前のことだからといって、みんなできているとは限らないのだが。

 

というわけで、内容がわかりづらい、『わかりやすい説明をする』ための本を読みましたよっと。正直、あまり頭に入ってこなくて読んでて辛かったけど、勉強にはなった。

(個人的な感想だが、頭に入りづらい原因のひとつに、翻訳がベタすぎるというのはあると思う。ふわっとしていたり、ムリヤリ日本語にしました感があるように思えて。)