予期してしまう悲しさ。
一月ほど前の話になるが、おじいちゃんの家に行った。
父方のおじいちゃんで、新潟県にいる。
兄と、父と、僕。3人で車で走った。
1年ほど前だろうか。正確な時期は覚えていない。
家の階段で倒れているのが発見されたそうだ。
意識がなかったのだが、無事に回復はした。
でも、脳挫傷を起こしてしまったので、もう一人では暮らせない。
なので、施設に入っている。
恥ずかしい話だが、僕はしばらく田舎に顔を見せていなかった。
5年ほど行っていなかったと思う。
兄はしばしば訪れていたようだが。
会社も変わり、ようやく行けるような生活になったから、行った。
どうしようもない奴だ。自分でもそう思った。
一日目。施設に行っても、おじいちゃんは僕のことを思い出せないようだった。
父「俺だよ」
おじいちゃん「うん」
兄「俺だぜ」
おじいちゃん「うん」
僕「僕だよー」
おじいちゃん「・・・」
そりゃそうだよなあ。5年くらい顔見せてないもん。
覚えてなくても、仕方がないよなあ。
でも、おじいちゃんは、父と兄と、よくわからないおまけが来てくれたことを
喜んでくれたと思う。
恥ずかしがると、頭を掻く。
それは僕も知っている。
2日目。
帰り際に、もう一度声をかけてみる。
僕「僕だよー」
おじいちゃん「・・・」
僕「ヤッホー!覚えてるー!?」
おじいちゃん「うん」
僕「そっか。覚えてたかー。よかった。忘れられてたらどうしようかと思ったよアハハ」
・・・
おじいちゃん「また、いつでもあそびにおいで」
びっくりした。
短いあいだだったけど、もっとも長くしゃべっていた。
ほんとうは、はっきり聞こえなかった。
でも、どう考えても、「また、いつでもあそびにおいで」と言っていたと思う。
子どもの頃は、毎夏、遊びに行っていたので、その時のことを思い出したのかな、なんて思った。
「必ず、また来るよ。いつまでも元気でね。って、大丈夫だよね」
そういって、僕も施設を出た。
東京に帰ってきて、兄の奥さんも合流して、飲みに行った。
バカみたいな話をしていた。友達同士みたいな。
おじいちゃんの話になったので、僕は言った。
「おじいちゃん、最後にね、また、いつでもあそびにおいで、って。そう言っていたと思うんだよね。はっきりとは聞こえなかったけど、でも、そう思うんだ」
それからしばらく、沈黙があった。
********
僕は、なんとなくだけど、おじいちゃんに対し、力のようなイメージを持っている。
毎年訪れるたびに、腕の力こぶを見せてもらっていた。
とてもたくましい、働く人の腕。
すごーい!っていいながら、見ているのが好きだった。
僕、筋トレは嫌いだが。
今ではだいぶ小さくなってしまって、かつてのようなイメージはもはや感じなくなっていた。
それでもおじいちゃんはおじいちゃんなのだが、なんだか時の切なさを感じざるを得ない、形容しがたい気持ちになっていた。
でも、なんだかとても悲しい。
この先に待っていることが、見えてしまうようで。
*************
正直、人の一生の終わりは、よく見てきたほうだと思う。
知っている人も。まったく知らない人のも。
それは、いつも突然やってきていたように思う。
けれど、終わりが予期できてしまうということに、遭遇したことはなかったかもしれない。
でも、そういうことは、あまり考えないほうがいいのかもしれない。
幸せであれば、それで。
そう、心に言い聞かせることしかできないのかも。
暗い話で申し訳ないが、書き留めておきたくなったから、書き留めた。
留めておきたくて。
それだけ。