Zwangsvollstreckung

執行とか、本とか、出来事とか。

いのちの車窓から見つめること。

 

会社の同僚が貸してくれたので、読んだ。 

 

いのちの車窓から

いのちの車窓から

 

 

星野源の書く文章って、ずいぶんと読みやすくなったかなと思う。

文章を書くことがうまくなったというか。

もともと下手な人ではなかったと思うけれど、なんというか、聞き触りのよい文体で書かれている…といえばいいのか。

(文字を聞く、みたいなちょっと変な話になっちゃったけど)

 

ちょっと強い言い方をすると、なんか無毒化されているような文体でもある。広く、多くの人に共感を得られるような。そういう文章になっているような気もする。

なんだか、星野源は「ポピュラー」になって、それが文章に現れるとこのようになるのかな、という感じ。

 

僕の勝手なイメージだけど、正直にいえば、もっと心のノイズ的なものを期待していた。ノイズ、を具体的に説明しようとしてもなかなかうまくいかないが、なんだろう、日常とそれに対する違和の感性、みたいな。違和じゃなくてもいいんだけど。

 

別に表現はうまくなくてもいいのだが、そのノイズを表明するところに面白さがあったように思うし、それがまた星野源という存在のユニークさになっていたような気もするけど、そういう部分がちょっと薄まってきたのかな?という印象。

まあそれが悪いとか、いいとかではなくて、なんとなく、存在が変わったのかなというだけの話。もっとも、心のノイズ的なものの記述を期待するということ自体が、ちょっと強引に期待を寄せている感もあるし…。

うまくいえないけど、ノイズ的なものが常にその人にある、みたいな想定をしているわけではなく、なんかそういうノイズ的なものとは、心のなかで波動のように観測されるべきものなのかなあ、と思ってはいるんだけどね。

(波動って言いたいだけなんだけど)

 

* * * * *

 

まあ、僕の星野源像はさしあたりどうでもいいだろう。わけわかんないし。

思ったことを3つ書く。

 

大泉洋

個人的に大泉洋の話が一番面白かった。といっても、星野源の話が面白いというよりも、大泉洋という存在が面白いという感じなんだけど(笑)

なんというか、大泉さんって、星野源のこと大好きなんだろうなあと。小学生のころ、よくいたような、好きな女の子に対して無駄にちょっかい出しちゃうような感じ。

でも、なんか、大泉さんって、人のために一生懸命になってみたり、なんだかんだ悪態をつきながらも、ちゃんと星野源のことを見ていたりして。

子どものような純真さなんだろうな、と。そういう純真さを持っている大人が一番に憧れたりする。

僕、ほんとうは、あまり大人になれない人だから…。

 

②人見知り

 それまで、相手に好かれたい、嫌われたくないという想いが強すぎて、コミュニケーションを取ることを放棄していた。コミュニケーションに失敗し、そこで人間関係を学び、成長する努力を怠っていた。

 それを相手に「人見知りで」とさも被害者のように言うのは、「自分はコミュニケーションを取る努力をしない人間なので、そちらで気を使ってください」と恐ろしく恥ずかしい宣言をしていることと同じだと思った。(99-100)

 あー。うん。わかる。わかるよー。と思って、心に刺さった。

僕も似たようなもので、僕もよく人見知りだという。僕から相手に近づくよりも、相手から近づいてきて、それに合わせているほうが楽だなあ~と思うことのほうが多い。でも、そんなの、本当に自分本位だなと思って、落ち込むことだってある。

けれど、やっぱり、自分から近づかなきゃ!という強迫に駆られるのも違うと思うし。どうしたらいいんだろう、なんて思うこともよくあるなあ、と。

でもまあ、素直になるのが、一番いいような気もしている。本にもそう書いてあるけど、好きな人には好きといえばいいし、素直な気持ちで接すればいいのかなあと。

 

もっとも僕の場合、素直すぎてやらかすことも多いが(笑)。基本的に、すごいと思ったことは素直にほめちゃうのだけど、ナチュラルに人を傷つけたり、ね。

あとは、デリカシーがなさ過ぎて、後々「うわぁぁ、やらかしちゃったなあ。嫌われちゃったかなあ。そうだとしたらどうしよ…」みたいな感覚が時限爆弾のように襲ってきたりする。

結局、僕の場合は、こういう問題って常に心のどこかにあって、ノイズとしてうにょうにょ心を漂い続けている状態なんだけど、でもまあ、なんだか前向きになれる。そんな気がした。

 

新垣結衣

僕、生きてるうちに新垣結衣という文字列を文章のなかで打つことはないと思っていたんだけどね…。

まあでも、新垣結衣って、すごく繊細で、いい人なんだろうなあと思うし、きっと星野源と波長が合っているような気もする。

俳優と「普通の人」という関係の話はなかなか面白い。有名になればなるほど、俳優からは「普通」さが消えていくが、新垣結衣はそうではなかった。「普通」の女の子として魅力的なのだ、という話は割と面白いなと思った。

いつ、いかなる時に「普通」さが垣間見れるのかは、よくわからない。新垣結衣にしても、星野源にしても、僕らが見るのはテレビ越しの彼/女らである。そこにいる存在は、「新垣結衣」であったり、「星野源」であり、「普通」の男/女の子というわけではないのだから。

ただ、逃げ恥が放送される直前くらいに、新垣結衣と誰か2人がいろんな街のいろんなところにいって、ご飯を食べたり、お話をしたりする番組をやっていて(雑すぎ)、その時の新垣結衣の話を聞いていたら、すごく「普通」っぽい話で、僕の中で興味を引いたことがあった。ゲイノージンっぽくない発言というか…。

一瞬だったけど、垣間見れる「普通」の側面があったわけなんだけど、そういうことかな?と。もし、そういう感覚であれば、新垣結衣に魅力があるというのは、わかる気もする。

(やっぱり星野源にとって、新垣結衣の存在って大きいんじゃないの?って勘ぐってみたり笑) 

 

* * * * *

 

こんな感じかな。

適当に感想を書いてみました。

やっぱり、文芸の感想を書くのは得意ではない。

 

でも、小難しくもなく、有名人ではあるけれど、普通の人とそんなに変わらない日常がそこにはあって、想いを綴っている文章がそこにはあって…。

論理とか、正しさとかそういうのではなく、素直に感想を凝らしてみるというのは、やはりなかなか楽しいなと。

 

もっといろんな話がしたい。

いろんなことを聞いたり、話したりしたい。

そう思った。