Zwangsvollstreckung

執行とか、本とか、出来事とか。

不法投棄2

1ヶ月くらい前だろうか。

不法投棄について書いた。

 

うちの近く、家賃は高くない割にそれなりに小綺麗なところなんだけど、どういうわけか不法投棄が頻発する。というより、目立つ。

確かに、ゴミを捨てるのにお金は結構かかるんだが…。

 

で、不法投棄をすると、もれなくコメントを貰えたりする。

もっとも、それが不幸な動機によって行われているのはいうまでもないが。

 

この前、不法投棄を見つけて、それがもれなく「コメントがありました!」状態になっていたんだけど、あれから1ヶ月くらいたった今、どうなっていたのかというと、

 

 

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こうなってた。

 

人は「やつ」に変わり、

訴求がかなりキョーレツになってた。

 

ちなみにここ路上なんで、誰が管理しているのか、すなわち誰がこの場所を「所有」しているのかは、グレーだったりする。まして、不法投棄されているもの自体が造作物でもなく、動かしやすい物体なので、ぶっちゃけた話、責任の所在を移動しようと思えば簡単にできたりする。

 

自分の管理している範囲から出てしまえば、「管理」 する必要はないわけだし。

この辺りは方便としてもよく使われることだけど。

 

もちろん、ここで訴求されているように、責任は「誰か」に向けられているし、「誰が」置き去りにしたのかが、第1に問われることなんだけど、そんなの簡単に分かることじゃない。

 

誰が責任を所有しているのか。そのことを考える上で、不法投棄の事例は興味深い。

もっとも、その場所を所有している人からすれば経済的にも心理的にもたまったもんじゃないし、そういう気持ちは、わかる。

僕も重量400キロはある耐火金庫を不法投棄したやつのことを思うと、絶対ゆるさない!とか思ったもん。

 

ただ、これを捨てた人はもうこの地域にはいないと思う。時期的にも、そんな気がする。

 

それでもなお、こうして特定の「誰か」に向けて、訴求は強まっていく。もうここにはいない、この訴求を見ることもない「誰か」に向けて。

 

宛先はあるが、不着となる呼びかけだけが、虚空を揺蕩い続けているのだ。

 

 

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と、それっぽいことを言ったが、1番皮肉なのは、文言がきつくなっているにもかかわらず、

不法投棄増えてんだよね…。

画像左のピンク色の物体。

 

 

他人の責任のもとに置かれているゴミは捨てられない。けど、実際そこにゴミが置いてあるので、それを見て人は不法投棄をする。という悪循環。

なぜゴミを捨てるんですか?そこにゴミがあったから。

それもまた、人がその場所をどう判断し、理解しているのか、興味深い問題ではある。

深刻なのはわかってるが。