Zwangsvollstreckung

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【ギデンズ読書会】『社会の構成』第4回 振り返り

 

第4回の振り返りです。

ざっくりまとめましたが、内容があっていないかもしれません。

「大体こんな話だったな〜」というので思い出していただけば、それで…(すんません)。

 

輪読範囲

第4章 「構造・システム・社会的再生産」

 7節.矛盾

 8節.歴史をつくる

 批判的注解ーー「構造社会学」と方法論的個人主義

 

第5章 「変動、進化、権力」

 1〜5節まで

 

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■第4章(7節〜)のおさらい

 

○「矛盾」という概念のおさらい

・「構造的矛盾」ってなんだ?「闘争」との関係ってなんや?みたいな疑問がありましたので、ポイントをさらってみます。

 

[本文よりまとめ]

・矛盾→社会理論において不可欠(229)

 下記、2つの意味で用いていくべき。双方とも、論理学的な意味での矛盾と連続性をある程度保っているが、直接的な拡張ではない、とのこと。

 ⑴「実存的矛盾」

 人間それ自体は自然に依拠しつつも、自然とは切り離された部分を持っているということ(神学的な話でイメージするといいらしい)。

 ⑵「構造的矛盾」

 人間社会の構成的な側面であり、構造原理が作用する要素。構造原理は、相互に関係しあいながら作用するが、同時に相互に侵犯しあう。(230)

 →システムを組織化する構造原理が分裂すること(234)

 →生活様式が多様化するなど、異なるカテゴリーをもつ集団の間で対立が発生する

    ような利害の分割が起きること。(235)

 

 ※構造原理とは

 そもそも、この概念は、社会統合/システム統合のモデルを説明する上で使われる概念です。

 構造:社会の制度化された特徴のこと(222)

 →構造原理:社会的全体性を組織化する原理(222)

   諸構造:社会的システムの制度的分節化に関わる規則ー資源群

  構造特性:時間と空間を越えて伸張していく、社会的システムの

       制度化された特徴

 

 <ざっくり所感>

 かなり端折りますが、ギデンズはここで、マルクスの分業の議論に従っていまして、分業はマニュファクチュアにおける時間ー空間の伸張に関わっているといいます。伸張に際し、「外部の環境」が変動を与え、労働の再配置を生む。このとき、時間ー空間を越えて伸張した、制度化された慣習は、単なる変換/媒介関係を持っているわけではなく、それ自体が再生産の構造を持っているという。システム再生産の条件を理解することが、システム再生産の条件それ自体の一部になっているという構造なのだ、ということを指摘しているのだと思います。(228)*1

 

 ⑵「構造的矛盾」はさらに二つに分けられる。

  A.「一次的矛盾」

  社会的全体性の構成に介入する矛盾

  B.「二次的矛盾」

  一次的矛盾に依拠、あるいはそれにより生成される矛盾。

 これは、社会類型の分析に関連づけられるべきで、その社会の構造がはらむ矛盾は、どのように特徴付けられるべきか、という問題になっていきます。

 個人的には、5章の4節以降にも関連すると思っています。

 

・闘争

 矛盾と同じ調子で使用されることがあるが、闘争は、行為者あるいは集団どうしの現実的な争いである。それに対し、矛盾は、構造的な概念。

 (構造的)矛盾があることは闘争を過熱化させるが、矛盾は闘争を必ずしも生み出すわけではない。異なる階級間での接触があるなど、現実的に闘争活動が生起しうるコンテクストが必要だからということでした。

 

○批判的注解でのブラウへの批判について

方法論的個人主義者が誤っているのは、社会的カテゴリーが個人に関わる術語による記述へと還元することができると主張する点である。(256)

この部分は量的屋さんにとっても当てはまりうる批判なのでは?という話が。

→事象を、統計的変数のみで説明することに対する批判。

 しかし、実際にはデータの「解釈」が必要なのではないかというお話でした。

 

ちなみに、本書におけるこの部分の含意をざっくり拾うと、

  • 「構造社会学」と方法論的個人主義は、二者択一ではない。なので、構造と拘束を等値として考えるのはやめましょう。
  • 大事なのは、能力付与と拘束の関係は、構造の二重性の観点から捉えること。
  • それによって、歴史のような構造特性を形成し、かつそれに形成される人間実践(行為?)の記述が可能になる。

ということのようです。(256)

 

そういえば、今回、構造と拘束の話してませんでしたね(笑)

 

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■第5章のおさらい

 

第5章の議論は基本的におさらいのみ行っていたので、ざっくり内容をさらってみます。

 

○ギデンズ先生の仰りたいこと

社会変動の数多の理論、なかでも進化論的な理論を脱構築し、社会生活の構成に内在する権力の本質を再構成することである。(263)

                  ※太字は、本書では傍点となっています。

 

なかなか危ういワーディングですがw、ざっくり、

①これまで進化論が社会変動の理論で援用されてきたけど、

 そもそもそれって論理的に破綻してますよってことを指摘し、(1〜3節)

②代わって、社会変動とそこで作動する権力が、

 どのように社会生活の組織化に影響しているのか分析してみますよ(4〜5節)

ってことになるかと。

 

○第1節 進化論と社会理論

 ここでは、良い社会進化論とダメな社会進化論について教えてくれます。社会進化論に必須な要素は下記の4つ。

  1. 生物学的進化論(ダーウィン的な)と概念上の連続性がある程度あること。
  2. 社会変動のメカニズムを特定(説明)している論であること。
  3. 社会発展における連続する諸段階の特性がなされていること。
  4. 社会変動を支配的なメカニズム=「適応」のメカニズムとして説明すること。

この4条件を満たしていないものはそもそも論外なのでは…というお話です。

 

○第2節 適応

 社会進化論における適応は、なんだか拡大しすぎていたり、論理的に循環していたりでしっちゃかめっちゃかだという批判が主です。

 適応の概念を社会的なコンテクストで用いると、意味が広範になりすぎてあらゆるものを説明しちゃうため、「何かそれっぽいけど実際に何も説明していない」という事態になるということですね(このまとめみたいにね)。

 要は、進化論的なモデルを社会変動に組み込むこと自体がもれなく論外。

 

○第3節 進化と歴史

 ということで、人類の歴史は(生物学的な)進化論のような形状は持っていません。そして、それに当てはめようとする企図ももれなく有害です。

 この有害な思想が与えてしまう危険性をまとめると、社会変動を説明する際に、単系的で至上のメカニズムを想定してしまうことになっちゃいますよっと。

 

○第4節 社会変動の分析

 と言っても、変動に関する一般的定式化が不可能なのだ、ということでもなく。

ポイントは、社会変動を説明するのにもっとふさわしい概念があるということで、それは以下の5つですよっと。

  1. 構造原理
  2. 時間ー空間の縁
  3. 間社会的システム
  4. エピソード性
  5. 世界時間

ここで新しく出てきたのが、4と5ですね。

「エピソード性」とは、始まりから終わりまでの一連の連鎖を持った多数の出来事や行動のことです。国家の形成のように、社会的全体性の制度に影響を与えるような、一連の変動の連鎖を同定するということです。この時、前提となるのは、社会的全体性が含む構造原理を背景として、変動が進められると想定することですね。(281)

 

「世界時間」とは、反省的にモニタリングされた「歴史」という視点からの接合*2の検討と説明されています。社会変動とは、コンテクストの変動に応じ性質を変えていく環境や出来事の接合に依拠していると。これは、多様な間社会的システム(たち)が、それぞれエピソード的な移行に関して相互に影響を及ぼしあい、変動のコンテクストの中に位置付けられます。そして、そのコンテクストとは、その場にいる行為者たちが、「歴史をつくる」条件について反省的なモニタリングをする際にも関与するものだと(281-282)。

 

<所感・感想>

こうしてみると、世界時間とは、間社会的システムが、互いに影響しあっているコンテクストなのかなあなんてイメージしています。国家形成と、軍事的権力の調整の例が本文でありましたが、隣接している共同体のとの関係があり、それが一連の制度的な変化を生む…みたいな。そういう「影響を与えているもの同士が位置づく一連の流れ」のようなことだと思っています。

まあこの点、宿題となっていますので、皆さん考えてきてください(笑)。

 

そういう感じで、エピソードが持つ「内包性」(一連の変動が既存の制度群をどれほど深く崩壊・再構成するのか)や「外延性」(変動がどれほど広がっていくのか)、人間の反省性(上記の「世界時間」の通り」なんかも考慮に入れつつ、社会変動に影響を与えるエピソード性を類型化できるんじゃないかということで、ざっくりした内容です。

 

○第5節 変動と権力

 ギデンズとしては、構造化理論をパーソンズフーコーから分け隔てたい(そしてマルクス的な話とも一部切り離したい)と考えているので、この節で、構造化理論における権力の話と、それが変動に与える影響の話をします。

 

ギデンズによれば、権力とは、結果を達成する能力のこと(295)ですが、重要なのは、時間ー空間の遠隔化が、権力の理論と直結しているという点です。それは、「配分的資源」と「権威的資源」を一定の形で結合させ、下部構造となることを意味しています。

 

配分的資源は、環境の物質的特性だったり、生産の手段だったり、財だったりで

支配を拡張する媒体となります。

権威的資源は、社会的な時空間や生活機会組織化や、身体の(再)生産などです。

これらは、共同体がそれを蓄積する容器となります。(296)

 

これら資源を蓄積する容器が、社会が構成される際の構造原理の主要な類型を生み出すようです。特に、時間ー空間の遠隔化を可能にし、かつ、支配の諸構造の再生産において配分的資源と権威的資源を結びつける役割を持っているのが、情報の蓄積だと。

 

情報の蓄積と唐突に出てきましたが、これはマクルーハンよろしく、社会関係の組織化に影響を与えるものです。また、蓄積とは、時間ー空間を接合させる媒体であり、行為の水準において、未来を管理し、過去を想起するものだそうで。ということは、蓄積には、時間ー空間を管理する様式も前提とされている。

そして、権威的資源と配分的資源を蓄積するということは、時間ー空間を超えて社会関係を永続化させることになり、そのために必要となる情報や知識の保有、管理に関わるものとして理解されるべきだ、ということでした。それが権力源となるわけなのだと、(私は)とりあえず解釈しています。

 

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はい。以上です!長かったw

これまで、時間やら空間やら、精神やらで、抽象度の高いお話が続いてきましたが、

いよいよ、構造化理論における「構造化」の部分のお話になってきましたね…。

 

次回は5章の批判的注解と6章をやります。

大詰めですねー。

ではでは。

*1:ちなみに、これは制度的分析に対する批判として論が展開されており、制度分析では、時間ー空間を越えて伸張した、制度化された慣習のクラスター化に含まれる変換/媒介関係が詳しく語られるという。そうではなく、構造の二重性を強調することは、この一連の流れをめぐる、再生産の条件を分析することにその本眼があるのでした。ちなみに、ここで再生産の様相を描く例となっているのは、マルクスのM-C-M関係の話です。その資本の循環構造が再生産されているということを示す上では、概念のギアを変更することが重要なのだということも、同時に指摘しています。それは、制度の分析による構造関係の分析それ自体が、再生産の条件を説明するわけでもないし、構造が生起した理由を説明することもないからです。

*2:ここで言っている接合とは、「ある特定の時間と場所で一定のエピソードに関連する諸々の影響どうしの相互作用を言い表している」そうです。