Zwangsvollstreckung

執行とか、本とか、出来事とか。

不法投棄2

1ヶ月くらい前だろうか。

不法投棄について書いた。

 

うちの近く、家賃は高くない割にそれなりに小綺麗なところなんだけど、どういうわけか不法投棄が頻発する。というより、目立つ。

確かに、ゴミを捨てるのにお金は結構かかるんだが…。

 

で、不法投棄をすると、もれなくコメントを貰えたりする。

もっとも、それが不幸な動機によって行われているのはいうまでもないが。

 

この前、不法投棄を見つけて、それがもれなく「コメントがありました!」状態になっていたんだけど、あれから1ヶ月くらいたった今、どうなっていたのかというと、

 

 

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こうなってた。

 

人は「やつ」に変わり、

訴求がかなりキョーレツになってた。

 

ちなみにここ路上なんで、誰が管理しているのか、すなわち誰がこの場所を「所有」しているのかは、グレーだったりする。まして、不法投棄されているもの自体が造作物でもなく、動かしやすい物体なので、ぶっちゃけた話、責任の所在を移動しようと思えば簡単にできたりする。

 

自分の管理している範囲から出てしまえば、「管理」 する必要はないわけだし。

この辺りは方便としてもよく使われることだけど。

 

もちろん、ここで訴求されているように、責任は「誰か」に向けられているし、「誰が」置き去りにしたのかが、第1に問われることなんだけど、そんなの簡単に分かることじゃない。

 

誰が責任を所有しているのか。そのことを考える上で、不法投棄の事例は興味深い。

もっとも、その場所を所有している人からすれば経済的にも心理的にもたまったもんじゃないし、そういう気持ちは、わかる。

僕も重量400キロはある耐火金庫を不法投棄したやつのことを思うと、絶対ゆるさない!とか思ったもん。

 

ただ、これを捨てた人はもうこの地域にはいないと思う。時期的にも、そんな気がする。

 

それでもなお、こうして特定の「誰か」に向けて、訴求は強まっていく。もうここにはいない、この訴求を見ることもない「誰か」に向けて。

 

宛先はあるが、不着となる呼びかけだけが、虚空を揺蕩い続けているのだ。

 

 

******************

 

と、それっぽいことを言ったが、1番皮肉なのは、文言がきつくなっているにもかかわらず、

不法投棄増えてんだよね…。

画像左のピンク色の物体。

 

 

他人の責任のもとに置かれているゴミは捨てられない。けど、実際そこにゴミが置いてあるので、それを見て人は不法投棄をする。という悪循環。

なぜゴミを捨てるんですか?そこにゴミがあったから。

それもまた、人がその場所をどう判断し、理解しているのか、興味深い問題ではある。

深刻なのはわかってるが。

【ギデンズ読書会】『社会の構成』第4回 振り返り

 

第4回の振り返りです。

ざっくりまとめましたが、内容があっていないかもしれません。

「大体こんな話だったな〜」というので思い出していただけば、それで…(すんません)。

 

輪読範囲

第4章 「構造・システム・社会的再生産」

 7節.矛盾

 8節.歴史をつくる

 批判的注解ーー「構造社会学」と方法論的個人主義

 

第5章 「変動、進化、権力」

 1〜5節まで

 

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■第4章(7節〜)のおさらい

 

○「矛盾」という概念のおさらい

・「構造的矛盾」ってなんだ?「闘争」との関係ってなんや?みたいな疑問がありましたので、ポイントをさらってみます。

 

[本文よりまとめ]

・矛盾→社会理論において不可欠(229)

 下記、2つの意味で用いていくべき。双方とも、論理学的な意味での矛盾と連続性をある程度保っているが、直接的な拡張ではない、とのこと。

 ⑴「実存的矛盾」

 人間それ自体は自然に依拠しつつも、自然とは切り離された部分を持っているということ(神学的な話でイメージするといいらしい)。

 ⑵「構造的矛盾」

 人間社会の構成的な側面であり、構造原理が作用する要素。構造原理は、相互に関係しあいながら作用するが、同時に相互に侵犯しあう。(230)

 →システムを組織化する構造原理が分裂すること(234)

 →生活様式が多様化するなど、異なるカテゴリーをもつ集団の間で対立が発生する

    ような利害の分割が起きること。(235)

 

 ※構造原理とは

 そもそも、この概念は、社会統合/システム統合のモデルを説明する上で使われる概念です。

 構造:社会の制度化された特徴のこと(222)

 →構造原理:社会的全体性を組織化する原理(222)

   諸構造:社会的システムの制度的分節化に関わる規則ー資源群

  構造特性:時間と空間を越えて伸張していく、社会的システムの

       制度化された特徴

 

 <ざっくり所感>

 かなり端折りますが、ギデンズはここで、マルクスの分業の議論に従っていまして、分業はマニュファクチュアにおける時間ー空間の伸張に関わっているといいます。伸張に際し、「外部の環境」が変動を与え、労働の再配置を生む。このとき、時間ー空間を越えて伸張した、制度化された慣習は、単なる変換/媒介関係を持っているわけではなく、それ自体が再生産の構造を持っているという。システム再生産の条件を理解することが、システム再生産の条件それ自体の一部になっているという構造なのだ、ということを指摘しているのだと思います。(228)*1

 

 ⑵「構造的矛盾」はさらに二つに分けられる。

  A.「一次的矛盾」

  社会的全体性の構成に介入する矛盾

  B.「二次的矛盾」

  一次的矛盾に依拠、あるいはそれにより生成される矛盾。

 これは、社会類型の分析に関連づけられるべきで、その社会の構造がはらむ矛盾は、どのように特徴付けられるべきか、という問題になっていきます。

 個人的には、5章の4節以降にも関連すると思っています。

 

・闘争

 矛盾と同じ調子で使用されることがあるが、闘争は、行為者あるいは集団どうしの現実的な争いである。それに対し、矛盾は、構造的な概念。

 (構造的)矛盾があることは闘争を過熱化させるが、矛盾は闘争を必ずしも生み出すわけではない。異なる階級間での接触があるなど、現実的に闘争活動が生起しうるコンテクストが必要だからということでした。

 

○批判的注解でのブラウへの批判について

方法論的個人主義者が誤っているのは、社会的カテゴリーが個人に関わる術語による記述へと還元することができると主張する点である。(256)

この部分は量的屋さんにとっても当てはまりうる批判なのでは?という話が。

→事象を、統計的変数のみで説明することに対する批判。

 しかし、実際にはデータの「解釈」が必要なのではないかというお話でした。

 

ちなみに、本書におけるこの部分の含意をざっくり拾うと、

  • 「構造社会学」と方法論的個人主義は、二者択一ではない。なので、構造と拘束を等値として考えるのはやめましょう。
  • 大事なのは、能力付与と拘束の関係は、構造の二重性の観点から捉えること。
  • それによって、歴史のような構造特性を形成し、かつそれに形成される人間実践(行為?)の記述が可能になる。

ということのようです。(256)

 

そういえば、今回、構造と拘束の話してませんでしたね(笑)

 

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■第5章のおさらい

 

第5章の議論は基本的におさらいのみ行っていたので、ざっくり内容をさらってみます。

 

○ギデンズ先生の仰りたいこと

社会変動の数多の理論、なかでも進化論的な理論を脱構築し、社会生活の構成に内在する権力の本質を再構成することである。(263)

                  ※太字は、本書では傍点となっています。

 

なかなか危ういワーディングですがw、ざっくり、

①これまで進化論が社会変動の理論で援用されてきたけど、

 そもそもそれって論理的に破綻してますよってことを指摘し、(1〜3節)

②代わって、社会変動とそこで作動する権力が、

 どのように社会生活の組織化に影響しているのか分析してみますよ(4〜5節)

ってことになるかと。

 

○第1節 進化論と社会理論

 ここでは、良い社会進化論とダメな社会進化論について教えてくれます。社会進化論に必須な要素は下記の4つ。

  1. 生物学的進化論(ダーウィン的な)と概念上の連続性がある程度あること。
  2. 社会変動のメカニズムを特定(説明)している論であること。
  3. 社会発展における連続する諸段階の特性がなされていること。
  4. 社会変動を支配的なメカニズム=「適応」のメカニズムとして説明すること。

この4条件を満たしていないものはそもそも論外なのでは…というお話です。

 

○第2節 適応

 社会進化論における適応は、なんだか拡大しすぎていたり、論理的に循環していたりでしっちゃかめっちゃかだという批判が主です。

 適応の概念を社会的なコンテクストで用いると、意味が広範になりすぎてあらゆるものを説明しちゃうため、「何かそれっぽいけど実際に何も説明していない」という事態になるということですね(このまとめみたいにね)。

 要は、進化論的なモデルを社会変動に組み込むこと自体がもれなく論外。

 

○第3節 進化と歴史

 ということで、人類の歴史は(生物学的な)進化論のような形状は持っていません。そして、それに当てはめようとする企図ももれなく有害です。

 この有害な思想が与えてしまう危険性をまとめると、社会変動を説明する際に、単系的で至上のメカニズムを想定してしまうことになっちゃいますよっと。

 

○第4節 社会変動の分析

 と言っても、変動に関する一般的定式化が不可能なのだ、ということでもなく。

ポイントは、社会変動を説明するのにもっとふさわしい概念があるということで、それは以下の5つですよっと。

  1. 構造原理
  2. 時間ー空間の縁
  3. 間社会的システム
  4. エピソード性
  5. 世界時間

ここで新しく出てきたのが、4と5ですね。

「エピソード性」とは、始まりから終わりまでの一連の連鎖を持った多数の出来事や行動のことです。国家の形成のように、社会的全体性の制度に影響を与えるような、一連の変動の連鎖を同定するということです。この時、前提となるのは、社会的全体性が含む構造原理を背景として、変動が進められると想定することですね。(281)

 

「世界時間」とは、反省的にモニタリングされた「歴史」という視点からの接合*2の検討と説明されています。社会変動とは、コンテクストの変動に応じ性質を変えていく環境や出来事の接合に依拠していると。これは、多様な間社会的システム(たち)が、それぞれエピソード的な移行に関して相互に影響を及ぼしあい、変動のコンテクストの中に位置付けられます。そして、そのコンテクストとは、その場にいる行為者たちが、「歴史をつくる」条件について反省的なモニタリングをする際にも関与するものだと(281-282)。

 

<所感・感想>

こうしてみると、世界時間とは、間社会的システムが、互いに影響しあっているコンテクストなのかなあなんてイメージしています。国家形成と、軍事的権力の調整の例が本文でありましたが、隣接している共同体のとの関係があり、それが一連の制度的な変化を生む…みたいな。そういう「影響を与えているもの同士が位置づく一連の流れ」のようなことだと思っています。

まあこの点、宿題となっていますので、皆さん考えてきてください(笑)。

 

そういう感じで、エピソードが持つ「内包性」(一連の変動が既存の制度群をどれほど深く崩壊・再構成するのか)や「外延性」(変動がどれほど広がっていくのか)、人間の反省性(上記の「世界時間」の通り」なんかも考慮に入れつつ、社会変動に影響を与えるエピソード性を類型化できるんじゃないかということで、ざっくりした内容です。

 

○第5節 変動と権力

 ギデンズとしては、構造化理論をパーソンズフーコーから分け隔てたい(そしてマルクス的な話とも一部切り離したい)と考えているので、この節で、構造化理論における権力の話と、それが変動に与える影響の話をします。

 

ギデンズによれば、権力とは、結果を達成する能力のこと(295)ですが、重要なのは、時間ー空間の遠隔化が、権力の理論と直結しているという点です。それは、「配分的資源」と「権威的資源」を一定の形で結合させ、下部構造となることを意味しています。

 

配分的資源は、環境の物質的特性だったり、生産の手段だったり、財だったりで

支配を拡張する媒体となります。

権威的資源は、社会的な時空間や生活機会組織化や、身体の(再)生産などです。

これらは、共同体がそれを蓄積する容器となります。(296)

 

これら資源を蓄積する容器が、社会が構成される際の構造原理の主要な類型を生み出すようです。特に、時間ー空間の遠隔化を可能にし、かつ、支配の諸構造の再生産において配分的資源と権威的資源を結びつける役割を持っているのが、情報の蓄積だと。

 

情報の蓄積と唐突に出てきましたが、これはマクルーハンよろしく、社会関係の組織化に影響を与えるものです。また、蓄積とは、時間ー空間を接合させる媒体であり、行為の水準において、未来を管理し、過去を想起するものだそうで。ということは、蓄積には、時間ー空間を管理する様式も前提とされている。

そして、権威的資源と配分的資源を蓄積するということは、時間ー空間を超えて社会関係を永続化させることになり、そのために必要となる情報や知識の保有、管理に関わるものとして理解されるべきだ、ということでした。それが権力源となるわけなのだと、(私は)とりあえず解釈しています。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

はい。以上です!長かったw

これまで、時間やら空間やら、精神やらで、抽象度の高いお話が続いてきましたが、

いよいよ、構造化理論における「構造化」の部分のお話になってきましたね…。

 

次回は5章の批判的注解と6章をやります。

大詰めですねー。

ではでは。

*1:ちなみに、これは制度的分析に対する批判として論が展開されており、制度分析では、時間ー空間を越えて伸張した、制度化された慣習のクラスター化に含まれる変換/媒介関係が詳しく語られるという。そうではなく、構造の二重性を強調することは、この一連の流れをめぐる、再生産の条件を分析することにその本眼があるのでした。ちなみに、ここで再生産の様相を描く例となっているのは、マルクスのM-C-M関係の話です。その資本の循環構造が再生産されているということを示す上では、概念のギアを変更することが重要なのだということも、同時に指摘しています。それは、制度の分析による構造関係の分析それ自体が、再生産の条件を説明するわけでもないし、構造が生起した理由を説明することもないからです。

*2:ここで言っている接合とは、「ある特定の時間と場所で一定のエピソードに関連する諸々の影響どうしの相互作用を言い表している」そうです。

雨の日と何気ない身近なもの

 

毎年この時期になると、住んでるところの近所では地域の園芸クラブが活動をし始める。そして活動を終える。桜が咲いて散るように、ほんとこの一瞬だけ園芸をする。

 

そういう出来事なので、普段はすっかり頭の中から抜け落ちているのだけど、ふと気がつくと、今年も手を加えていたようだ。

そうすると、道がとてもはなやかになる。

 

今日は雨。

どんよりとした空。

こんな日は、家でゆっくり過ごすのがいい。

 

でも、グランマックの200円クーポンが当たったので、近所のマクドナルドに行くためだけに外へ出た。ただそれだけなのだけど、行きがけに、花壇の花が綺麗に咲いているのが見えた。

 

晴れの日もあざやかだけど、なんというか、雨の日も、いのちのみずみずしい部分を感じる。単に濡れてるだけかもしれないが。

 

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花は咲くものであって、枯れるものではないのだと思った。

ごめんなさい。

それが言いたかっただけ。

ビューティー

 

一昔前、LINE ビューティーというカメラアプリが流行った。

写した人を美しくするアプリだ。

そのさらに昔、プリント倶楽部というものが流行ったと思うが、あれと同じことがスマホで出来るようになった。いい時代だ。プリクラって言えよって感じだが。

 

でもプリクラと違うのは、筐体がないことだ。筐体がないということは、被写体として選べるものが増えるということになる。

空間から解き放たれて自由になるからね。

 

そして思う。

どんなものでも美しくなるのか、と。

 

もし、全てのものが美しくなるなら、キレイな世の中になるだろう。そのとき、心の底から

Goodbye this Cruel World

と言えるような気がしていた(言えるとはいっていない)。

 

というわけで、美しくした。

 

 

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鹿。

 

 

 

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ビューティー・鹿

 

 

 

 

 

 

 

***********

 

 やはり自然は自然のままであるからこそ美しいのではないか、と思った。

 

馬鹿なことやってないで、寝ようと思う。

おやすみー。

 

 

不法投棄

僕の今住んでいるところは、そんなに家賃は高くはないのだけど、地域的に見れば、地域の平均所得は560万円程度で市内では2番目に高い(2013年度だが)。

 

実際、街を歩いていると綺麗な戸建もあるし、車もすごいの停まってるし、都心へのアクセスも悪くないから、まあマイホームをここに建てたくなるのは、わかる。野原家が春日部に30年ローンで家を買うのと同じようなもんだと思う。

それが日本のスタンダードな家庭かと言えば、それは絶対に違う、と思うけれど。

 

話が逸れたが、そういう地域なので街はかなりキレイなのだが、 一方で不法投棄はそこそこあったりする。他の地域と比べて多いかどうかはわからないけれど、キレイであるがゆえに、結構目立つ。

 

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たとえば、こういうのがあったりする。これ、最初は布団だけが置かれていたのだけど、2週間くらいして、その布団に「心無い人の不法投棄」というコメントがついた。

「いいね」ではなく、「しね」みたいな。

 

その後、1週間くらいして、電子レンジと、なんかよくわかんないものが追加された。こちらももれなく「心無い人の不法投棄」というコメントがついた。これは早かった。即日レスだと思う。SNSでやったらちょっと引かれるかもしれない。ウォッチされてんなーって。いや実際監視してると思うけど。

 

ちなみになんで時系列で追えているのかというと、答えは簡単で、通勤経路にあるから。

 

 

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次はこれ。

コインパーキングですね。トランクに詰められてたのでしょうか。

マネキンです。

 

これはさすがに速攻で特殊清s…もとい撤去されていました。怖いよね、さすがにね。

 

あと、写真はないんだけど、前に上の布団とか電子レンジの写真のところに、壁紙のクロス(事業系ごみ)が袋詰めで捨てられていたことがあって、当然それもポエムみたいなコメントがついていたんだけど、その後そのゴミが無くなってたんだよね。

おお、持って帰ったか、よかったよかった。

と思って家帰ってきたら、うちのゴミ置場にそれが移動していたという事件がありました。

 

執行業者やってたとき、不法投棄を捨てる案件も結構やってたけど、大体1万5千円くらいで引き上げてたと思う。

全然割に合わない仕事だった。

ちなみに一番大変だったのは、4段の耐火金庫。重さは300kgを超えている。

そもそもどうやって持ってきたのか、問いたい。問い詰めたい。小一時間問い詰めたい。 

あ、ちなみに1万5千円ですと赤字です。

 

*****

 

ゴミ捨てるのも結構金かかったり、手続きが煩雑だったり(いうほど難しくはないと思うが)するのが事情の1つなんだろうなあとは思った。

 

心無い人と、その人にレスポンスを出し続ける人の今後はどうなりますことやら。

 

 

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酒に何かをつける

 

渋谷を歩いていた。

そうしていると、LOFTでこんなものを見つけた。

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これは、自宅で簡単にサングリアが作れるやつでいろんなフレーバーがあった。

なんでも、ワインを入れて冷蔵庫に放置しておいて、しばらくすればサングリアがつくれるというものだった。

何年か前からか、サングリア的なものが流行っていたので、こういう商品は出てくるかなと思っていたのだけど、ようやく発見した感じ。

 

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次はこれ。

さっきのサングリア的なものとそんなに変わらないのだけど、こちらはビールに入れる用のもの。このボトルにビールを注ぐ、というものではない。

なんでもこのボトルに熱湯を入れて、冷蔵庫で4時間ぐらい冷やすと完成するらしい。

そして完成したものを、ビールに入れて飲むようだ。

これはなかなかに面白そうだ。

 

ビールって、最近はクラフトやらなんやらでいろいろなものが出現したけれど、やっぱり定番のビールは限られていて、たまに飽きることがある。まあ日本のビールは、のどで飲むものだ、みたいな風潮があるので、味に飽きるというとおかしい気がしなくもないが、いずれにせよ無個性さが面白くないと思うときがある。

 

そういうときにいいのかもしれない。気分をちょっと変える…みたいな。

こういうささやかな楽しみを感じる系のものはもっとあってもいい。

 

 

*****

 

ちなみになんだが、僕は昔バーテンダーをやっていて、そのころよくブランデー・スプリッツァという飲み物を作っていた。

なんだか思い出したので、その作り方を紹介してみようと思う。

 

<用意するもの>

・ブランデー 1本(銘柄はなんでもいいけど、安いやつでいい)

・オレンジ 1個

・炭酸水

・密閉ビン(密閉しなくてもいいけど、蓋付きのものは必須)

 

<作り方>

①オレンジを「皮」と「実」に分けて切ります。

②ビンにオレンジとブランデーを入れます。

③24時間くらい冷蔵庫で放置します。

完成

 

<飲み方>

上記で作ったものを45mlくらい入れて、氷を入れて、炭酸水で適当に割ってください。

なかなかに爽やかで美味しいです。

 

<注意点>

作ったものは割と日持ちしますけど、オレンジの皮は漬けすぎると苦味がすげぇ~ことになるので、1週間ほど経ってしまったら皮は捨ててくださいネ。

 

*****

以上!

 

 

 

こんにちは。ドアを開けてください。

3連休。

転職をしてから、労災と有休消化以外で3連休を取ったのははじめてだ。

(前の会社は、年末年始も有休消化して休みを取るような会社だった)

3日も休むと、すごく体がリフレッシュされる。本当に、定期的に連休を入れて、思いっきり休む機会を設けた方がいいんだなと感じる。一年は長いのだし。

 

前の会社では、一応、法人だったり司法だったりを相手にしていたので、こういう祝日に出勤する必要はさらさらない。けれど、会社として、祝日は休日とされていないので、仕事がなくても働きに出なければならない。

 

そういう時、祝日にやっていた仕事は、「現況調査」と呼ばれるものだった。

調査といっても、そんな大逸れたものではない。ただ、現場となる家に行くだけだ。

 

もともと僕は、前職で執行補助者と呼ばれる仕事をしていた。簡単にいうと、強制執行の事件が起きた時、現場で裁判所の人の指示に従ってあれこれ作業をする人だ。権力を作動させるのは裁判所の人だけど、その実力行使の部分を担う役割とでもいうのかな。僕は建物の明け渡しをよくやっていて、そのケースでの実力行使というと、家の中のものを全部持っていってしまうということになる。

作業をするといっても、僕自身が直接作業をするわけではなく、監督的なことをする方が多い。ただ、その分、書類を用意したりだとか、事前に事が円滑に進むように働きかけたりしなければならない。

「現況調査」と呼ばれる活動も、その事前の働きかけの一部だ。

 

で、現況調査とは、どんな活動なのかというと、別に大したことではなく、インターホンを押して、「こんにちは。ドア開けてよ」っていうだけ。

そうやって、出てきたら、話を聞いて同情して…出て行く予定があるのかどうかを確認するといった作業になる。今思うと、訴訟を起こされて、実際に退去までのリミットが強制的に決まっている人に対して、

「よっ!元気?」

ってノコノコやっていくんだ。普通に考えたらこれほど恐ろしいことはないと思う。実際、僕の同僚にも怖いと思う人はかなりいた……と思う。なんだかんだ僕にその担当が回ってくるのは、そういう事情があったのだと思う。

 

僕としては、別に怖くはないのだけれど、この現況調査が嫌だったのは、いつ帰ってくるかもわからない本人をひたすら車の中で待ち続けなければならないことだ。帰ってきたら捕まえなきゃいけないので、寝てるわけにもいかない。かと言って、特にすることもない。ただただ時間を浪費していく感覚が大きかったのがとても嫌だった(そういう特性を利用して、よくサボっていた人もいたけれど)。

 

そんな活動なのに、どうしてそんなことをやらなければならなかったのかというと、一つは、すでに退去していることを把握できれば、当日の作業がすごく楽になる事が前もってわかり、人員や車輌を削減した上ですぐに当日の作業を終わらせられるから。あとは、現場がどうなっているのか、という不安を払拭するため。だいたいこんなもんだと思う。

 

とはいっても、そうやって当日のコストを削減したところで、次の仕事もそんなにあるわけでもなかったので、実際、時間に見合っただけの効果があったかと言われるとそうでもない気がしていた。そう思ったので、僕は最後の方で、電話でのやり取りに切り替えたけど…。

 

まあ、本人としても、普段は働いている中で、せっかくの祝日に色々やろうとしているのに、突然の訪問に対応し、嫌な話をしなければならないのだから、それはそれはストレスだったろうなあとは思う。調整がうまくいけばいいけど、調整に失敗した人は、本当に「二度とくるな!」って言われて、あとは当日まで状況がわからなくなって、厄介案件入りしたこともあったし…。

 

仕事としては、現況調査って、現場に行きまくってしまうとあんまり生産性もなくて、あまり意義を感じない活動だったけれど、割とそこでのやりとりとか打ち合わせは、案件を裏で動かして行くということで、話としては面白かったりする。確かに、案件を円満に終わられられるかどうかは、現況調査のうまさに関わってくるのは、そうだ。

 

そんな感じの活動を、これまでの祝日にやっていたなーと思い出した。

また、思い出して書きたいと思う。戻りたいとは一切思わないけれど(笑)