Zwangsvollstreckung

執行とか、本とか、出来事とか。

イヤホンを買った。

 

イヤホンを買ってみた。

 

 

【国内正規品】EOZ ワイヤレス Bluetoothイヤフォン EOZ One Silver / Silver EO-1101
 

 

モダニティという会社から発売されている、EOZ oneというBluetoothのイヤホン。

なんでももともとはスペインのメーカーらしい。

しかし、デザインはフランスで行なっていて、音はスペイン。形はフランスといった、ちょっとおしゃれ感狙っているアイテムだ。

 

なんでも、人間工学に基づいたデザインというのが売りで、つけ心地とか、疲れにくいとか、ズレなさとかフィット感に強みがあるようだ。

肝心の音に関してはほとんど情報がなかった。

 

これ、最近店頭でもよく見かけていて、まあ確かにつけ心地はよいし、そんなに安っぽくはないだろうということで買ってみた。

僕のイヤホン、壊れたし。

 

で、使ってみているんだけど、確かにフィット感はすごくよい。

ランニングとかするときにすごく良いと思う。ずっとつけてても問題ないって感じ。

ハウジングの部分が金属になっていて、ちょっと重いんだけど、長時間つけていても疲れない。さすが人間工学を歌っているだけのことはあるかな、と。

 

音に関しては、典型的なドンシャリ傾向。ミドルが得意なほうが僕は好きなんだが。

尖る尖る。EDMとかそういうの聞くときにいいかなと思う。僕はあまり聞かないのだが。

音質的には1万円のイヤホンにしては、「こんなもんかな」という感じ。

特別いいわけでもなければ、悪いわけでもない。

ただ、音質を求めるなら、ソニーか何かを買った方がいいかも。

ついでにいうと、音漏れがかなりある。カナル式のくせに・・・。

 

あとは、マイクの感度が結構良くて、つけたまま通話も結構スムースにできる。遅延も気にならないレベルだし、これは結構いいかも。

他のレビューではコントローラが使いにくいと書いてあったけど、僕的にはそんなでもない。ボタンも押しやすくはないのだけれど、そんなに気にならないレベル。

 

付属で合否のイヤホンポーチがついてくるんだけど、これは結構使いづらい。マチが製品に対して浅すぎる気がする(笑)あと、結構安っぽいので、なんだかなあ、と。

 

まあそんな感じで、ほんと可もなく不可もないという製品でした。

つけ心地はかなりいいし、デザイン的にもスポーティでオシャレなので、

ランニングをする人としては重宝かな。

 

 

 

 

肩身の狭さ

 

僕は会社員で、いわゆる新規事業の部署にいる。

その新規事業のなかでも、メインとなる役割を持っていて、社内では他の誰もやっていない仕事だ。

正確に言うと、その新規事業はツールを活用するもので、そのツールを導入する際に僕を含めた3名が2日間の研修を受けたのだが、あとの2人は途中でドロップアウト

結果として僕以外にその仕事をする人がいなくなったというものだ。

 

このあいだ同時期に会社に入った同期から、「君は社内でも唯一無二の存在だよね」と言われた。

どことなく、珍しいものを見ているような目と、ちょっとした羨ましさがこもっていると、素直に言ってくれた。

 

裏を返せば、成果がまだ出ていなくとも会社に存在していられるということなのだが。

これはこれで肩身が狭い。

そう思う瞬間が多々ある。

 

まず、社内で誰もやっていないということは、社内で仕事の辛さとか、どういうことをやっているのかという点で、共感をしてくれる人がいない。

そして、教えてくれる人もいない。

 

僕は社内でも立場が低いので、本当は上司に確認や相談をしながら進めていきたいのだが、確認や相談をしようにも

「あ、俺わかんないから。任せるわ」

と一言で終わるケースの方が多い。

 

いやまあ、ツールとかシステムのことはわからなくてもさ・・・。

大枠の方針くらいは言ってくれたっていいじゃん・・・。

毎回そんなことを思って、次第に僕も相談をする回数が減った。

 

そう言う意味で責任が発生していて、それはそれで面白いことだと思うのだが、

逆にいうと無責任な人たちの肩代わりをしているような感じがあり。

素直に喜べるようなものでは決してない。

 

当然、新規事業なんてうまくいかないもので、当初の予定よりも進捗がよくない。

次第に周りがイラついてきているのがわかるし、そのイラつきの矛先が僕の方に向くのは自然なことだと思う。

 

僕も僕で、期待に応えられていないのは申し訳なく思うし、最近はそれで結構参っていたのだが、僕の方からすると、「あなたがたももう少し、興味持ってくれていいんじゃないの?」とは思ったりもする。

あまりにも放置すぎるというか、なんというか。

 

仕事の内容を理解し、共有し、共感しあえるなら、困っていることに対して手を差し伸べやすいのはわかる。

けれども、僕の場合は、どうにもとっつきにくいらしく、仕事の内容を話そうとしても、そもそも聞く耳を持ってくれない場合が多い。

そういうとき、もはや頼れるのは自分だけ。

本当はこんな状況になるのはよくないし、そういう状況になる前に自分からアクションを起こさなければならないのだが、僕はそれに失敗した。

成功する見込みは研修の時点で「ないな」と思ったのだが、それでも失敗したことには変わりがない。

 

目印のない、暗闇の荒野の中をひとりさまよっている感覚だ。

 

もっとも、それはそれで面白いのだが。

 

たまに、とても辛くなるときがある。

 

ただ、この暗闇を抜けた先に、何が見えてくるのかはちょっと楽しみでもある。

もっとも、それがいい結果になるとは限らないが・・・。

それは、それでいい。

 

中身がない記事で申し訳ないが、中身のある記事を書いてしまうとそれはそれで問題になる。

ただ言いたかったのは、暗闇をさまよっている感覚に居続けることの心境についてだ。

 

暗闇の荒野の中で、進むべき道を切り開く覚悟を持たなければならない。

それはとても面白いことだと思う。

 

だがそれは孤独な戦いにならざるを得ないような気もする。

そして同時に、一人では生きていけないとも思う。

 

相反する感情が渦を巻く。

ワクワクするけれど、不安で仕方がない。

これはこれで面白いけれど、常に危険との隣り合わせだ。

 

そういう状況を、もっと楽しめるようになれればよいのだが。

 

かに

 

新潟にいるあいだ、能生(のう)というところにいってきた。

カニが食べたいという人がいたからだ。

 

能生ってどこだ・・・。と思ったが、実は過去に一度だけ行ったことがある。

正確には「道の駅 マリンドリーム能生」というところに用があったわけだが。

なんでも、日本海で取れる魚やら、貝やら。海鮮市場があるのだ。

 

で、能生といえばやっぱりカニだそうで。

近隣の道の駅にもカニ市場はあるのだが、能生は特にカニのお店が集まっていて。

カニ好きにはたまらない場所となっている。

 

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マリンドリーム能生は道の駅らしく建物の中に食堂とかお土産屋があるのだが、

他にもこんな感じの広場があって、外は海鮮市場となっている。

カニかに館とは休憩所の名前なのだが、やはりカニを全面的に押し出している。

 

かにや横丁には、名前に違わなく、カニ屋さんがずらっと並んでいる。

これもなかなかおもしろく、お店の名前はすべて船の名前(〇〇丸)になっている。

お店の名前が船の名前になっていると海から取って来た感がでる。

 

もっとおもしろいのは、聞いた話なので真偽は定かではないが、

カニを買う時の暗黙のルールみたいなものがあるらしく。

 

⑴カニのお店は全部回る。

⑵試食は断らない。すべて試食する。

⑶その上で、一番美味しいと思ったお店から買う。

 

とのこと。

理由を聞くと、上記のやり方でないと立地で売れる店とそうでない店ができてしまうからだということだった。

なるほど。公正な競争はとても大事だ。

 

というわけで、僕らも試食して回ったり、お店の人と話したり、

試食している人の様子を見たりして。

まさしく、市場の活気を感じられるところだと思った。マルシェ感出てる。

 

 

 

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こちらはカニを買った時の写真。

2手に別れて、2つのお店からカニを買った。

僕らのところは、中くらいランクのと、小くらいランクのを1匹ずつ買い、

あとはどのくらい買ったのか知らないけれど、

なんだかすごい数になっていた。さすがに多いのでは・・・。

ちなみに、値段的にはそれほどしていない。

 

僕はカニの食べ方なんて知らなかったのだけど、バキバキ剥いて食べる感じが

とても技術がいることがわかった。

でもカニってこんなに美味しいんだーというのもわかって、楽しめた。

 

ただ、カニしかなかったので途中喉が渇いてしまったのは、その場では言わなかった。

なんというか、実にゼイタクな悩みだ。

 

 

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能生はなかなかに面白くて、こういう海の見える広間に出られる。

もちろんここでカニとか魚を食べることもできる。

 

そして、ところどころに謎のオブジェがあって、その謎のオブジェが不思議と雰囲気を出している。

平和の象徴なのか知らないが、海には銅像が似合う。

ちなみに、スカートの中は空洞で太ももが途切れていた。

 

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見なくてもいいものが見えてしまった、とはこういったことだろうか。

 

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鐘。

これも海の見える広間の中央にぽつんと置かれている。

もちろん鳴らすことも可能で、近くを通りかかる人は大体鳴らしていく。

鐘があればつい鳴らしたくなるのは、人間の性なのだろうか。

 

当然、僕も鳴らした。

「カラン、カラン」という音ではなく、「カーーーンッ!」と突き抜ける音が響いた。

周りにいた人から視線を浴び、恥ずかしい思いをしたが、

快晴の海にはとても合っている雰囲気だ。

 

なんだか、急に山と海を楽しんでしまって、もう9月も中頃に入るのに夏のレジャーを楽しんでしまった。

といっても、騒ぐようなものでもなく、静かに密かに楽しむようなものだが。

それはそれで、僕は楽しいと思う。

 

ところで、カニを初めて食べる人は勇気があるなと毎回思う。

あんな生き物をどうして食べようと思ったのか。それは毎回不思議だ。

ウニとか。イカとかも。

 

 

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話は変わり。

 

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能生から帰って来て、ミョウガを取ってみた。

旬はすぎていると思うが、これも味噌汁にすると美味しい。

 

東京に戻ってからスーパーに行くと、ミョウガが売っていた。

でも、値段がすごく高くて、まず買わないなと改めて思った。

高いと思ってしまうのは、田舎で味をしめたからだろうか・・・。

 

まあ、そういうカニ市場のフィールドワーク的なものと、レジャーの日記ということで紹介をしてみた。

 

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ちなみに、昨日ブログを書いていて思ったのだけど、

僕のブログの文体は、ゲームのロックマンDASHとか、ロックマンエグゼの文体寄せて書いているのかもしれないと気がついた。

ゲーム内でオブジェを調べたりする時の文体がとても好きなのだ。

 

ロックマン自体、世界観が独特で、街中にあるどうでもいいオブジェとかが調べられたりするのだけど、そのときの説明文がとても面白い。

主人公の独白チックな説明文で、実に完成豊かに、そのオブジェの説明が描かれる。

そこから世界観が垣間見れる感じがとても好きなのだ。

読ませるような構図になっていて、想像力が働くから。

 

なんとなく、ブログを書く時は、そういう文体に寄せるのが理想だと思っている。

これは本当にオマケ程度の話だが。

 

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小麦色の斜面

 

新潟にきた。

 

東京に比べるととても涼しい。

過ごしやすい、いい空気だ。

 

ほどよく雲もある青空で、いかにも夏っぽい。

時期的にもう夏も終わりだが、夏は海か山のイメージだ。

毎年、レジャーにはあまり行かず、今年こそは・・・と密かに思うのだけど

結局レジャーに行くことはない。そういうことを毎年繰り返している。

 

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で、山の上に登ると稲が首を垂れていた。

そういうのを見ると、とても秋っぽい。

ちょうど夏と秋の境目にいるようだ。

 

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普段、都会の中にいると季節なんて忘れることの方が多いから

夏くらいはこういうところにいくのがいいのかもしれない。

 

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蜂の巣があった。

詳しいわけじゃないが多分スズメバチだろうか。

 

これもなかなか都会だと、綺麗に巣の全体図が見えなかったりする。

珍しいので写真を撮ってみた。

 

写真を撮っていると、一匹の偵察バチが追いかけてきた。

怖いので猛ダッシュで逃げた。

刺されはしなかったしそれ以上追われることもなかったけど

少しだけ怖い思いをした。

 

そういうのも、自然を楽しむことのひとつだと思う。

 

ちなみにタイトル「小麦色の斜面」 とは、

バンド、ブランキージェットシティの曲名のひとつ。

初期の方の曲で、割と好き。

 

 

 

不法投棄4

 

これまで3回。

不法投棄について書いてきた。

 

僕の家から駅に向かうまでの間。

いつもの通勤経路に置かれている布団や電子レンジ。

やがて、いろいろなものが置かれ、そこは明らかに「ゴミを捨てても良い場所」という認識になっていた。

「心無い人の不法投棄!」という訴求がなされているにもかかわらずだ。

 

はじめて不法投棄を見つけたのは3月の終わりだったか。

あれから5ヶ月がたった。

 

 

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気がつけば、不法投棄のゴミは片付けられていた。

きっと管理している人が捨てたのだろうか。

 

昔、執行業者をやっていたとき、不法投棄の案件もいくつか請けた。前も話した通りだ。

いろんなものを捨てる奴がいたが、実は不法投棄の案件は、キャンセルが入る確率もそれなりに高い。

 

というのは、意外と足がつくからだ。

ただ、マンションの敷地内の不法投棄だからというのは大きいが。

 

今回のはもうしばらく置いてあったから、きっと見つかっていないのだろう。

それでも、いつまでもゴミを置いておくわけにもいかない。

だから、誰かが捨てなければならない。

そうしないと、不法投棄は増えゆくばかりだから。

 

そんな、やるせなさが、あてもなく。

 

 

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代わって、道にはこんなものが置かれていた。

 

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これは不法投棄ではない(当たり前)

 

行き場のない怒りも、きゅうりとかなすびに乗って、どこかへ旅立てばいいのさ。

Stay Tuning TOKYO Friday Night

 

TOKYO ART CITYというプロジェクションマッピングの展示に行ってきた。

都市はアートなのだ、という趣旨の展示だ。

 

都市はアートなのだ。というと、どことなくルフェーブルっぽい何かを感じる。

もっとも、ルフェーブルのいう「都市」のアート的なものとは、空間の管理から外れた人間の自由な実践という意味なのだが(『都市への権利』などを参照のこと)。

ここでの都市のアートとは、そういう意味ではまったくない。

 

なんかこう、近未来のTOKYOなるものをプロジェクションマッピングで表現しているやつだ。

もともと、誰が制作したのかは忘れたけど、なんか東京には「土着的なるもの」がないと主張していて。そのなかで、東京を東京という都市たらしめているものは、「変化」であると。そして、コミュニケーションこそが、東京「らしい」都市性になると。

まあざっくり要約するとこんな感じの趣旨だ。

どことなく、マニュエル・カステルっぽい話だ。

 

ただ、東京に土着性がないと言われるとそれはすごく微妙に聞こえる。本当にそうなの?と。

そんなことはないと思うんだけどな。

 

たとえば、歌舞伎町には、飲み屋のネオンがけたたましく輝いていたり、浅草には「江戸」っぽい何かがあったり・・・。

確かに、「東京とはどういう都市か」と聞かれたらなかなか答えづらい。答えづらさのなかに「東京」の魅力はあると思う。探してもいいと思う。けれども、東京には土着性がない、とまできっぱり言われると、ちょっと待ってよといいたくなる。

同じ東京23区内でも、僕らはどこかでその場所の特徴を見出し、目的を見出し、その場所に向かうもんだと思う。その特徴は、明らかに土地に結びついているものもある。それを土着性と言わないで、なんていうんだろう。

「変化」がその場所の都市性になるとして、それしか都市性がないのが土着性がないということにつながるのであれば、ロンドンだってニューヨークだって、土着性がないことになる。であれば、グローバルシティにはみんな土着性がない、ということになるんじゃないかな、と。

 

それはさておき。

 

展示には新宿、丸の内、渋谷、お台場、東京タワーなどが、プロジェクションマッピングで表現される。

各場所の特徴を情報化するとこんな感じなんだろうなあ、と。

 

って、その地域の特徴捉えてんじゃん!

捉えどころがないんじゃないのかい!

 

という感じにはなった。

 

ただ、プロジェクションマッピング自体はとてもキレイで。

どことなく幻想的な空間があった。東京を真上から見下ろしている。そんな感じ。

 

一番良かったのは、23区の電車の路線図とか、車の交通量とか、電波の分布図とかを可視化してくれるやつ。

特に電波の分布図を可視化しているやつは、とーってもキレイだった。

プラネタリウムで、銀河を見ているようで。

わああー!って感じ。

 

カステルじゃないけど、The Internet Galaxyって感じがして。ロマンティック。

 

でも、近未来感はなかったな。それがちょっと残念、かな。

今の東京の特徴を写してるだけだから。

 

まあ、ロマンティックなものを感じる場所で、こう、東京の銀河の中で、君を見つけたのさ、みたいなことを言う分にはいいと思う(僕は絶対いわないけども!)。

どことなく、都市のコミュニケーションというか、出会いっぽくない?なんて。

 

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それはそれとして。。。

 

僕自身、星とかそういうの、実は好きなので、

都市を銀河になぞらえる表現は嫌いではない。

こうみえても、どこかロマンチストなの。

 

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わかりやすく説明する練習をしよう。伝え方を鍛える コミュニケーションを鍛える。

 

読んでみた。

 

 

最近、データ分析の仕事も本格始動してきて、必要だと思って手に取った。

うちの会社では、自社のデータ分析を新しく始めて、ツールも導入しているんだけど、どうにもシステムとか、アナリティクス関連になると、会社として知見があるわけでもなく、プレゼンしても伝わらないことが多い。

 

それはたぶん、僕の説明に「わかりやすさ」が欠けているからだろうなと思い、もっと簡潔に、相手に負荷をかけず、言いたいことを伝える方法はないものかと思って。

 

で、結論からいうと、この本自体、そんなに説明がわかりやすくはなかった(笑)

 

ただ、「説明」という行為が、例えば、「報告」や、「詳述」「定義」「描写」といった行為とどのように違うのか、といったところや、「説明」をパッケージングするときの、「説明の尺度」=相手のトピックに対する理解の深度の話はわりと参考になるかな、と。以下順を追って。

 

本書によると「説明」とは、

「人に情報を与えて、人の記憶に残る現実に役立つ観念へと事実を変換する、創造的行為である」ということ。

いま思うと、この一文自体がすげえわかりづらいのだが、まあ、端的な事実だけがそこにあると、物事に対する理解が難しいままになってしまうのだが、そこに「これは、こういうことなんだ」という説明を加えることによって、相手もそのトピックについて理解しやすくなるんだということ。

そうすることによって、相手にとっても、理解にかかるコストを削減することができる。自分で情報を仕入れなくてもよくなるという点で。

そうした説明を達成する上で、必要なのは、視点を働かせるということ。これは、相手の立場に立って、その視点に寄り添ったコミュニケーションをすることと同じ。いわば、相手の目線や気持ちに”共感”するような説明の仕方を心がけてあげるわけだ。道を訪ねてきたドライバーに、道を教えてあげるときのように。そういうとき、運転する人の立場に立って、説明をしてあげられれば、相手もイメージしやすいものだろう。

事実を変換する創造的行為というのは、説明の伝え方によって、相手がその対象へ抱く評価も変わることに関わる。端的にいえば、興味を持たせられるかそうでないかという話なのだが、それ自体が、ある物事の評価が説明に依存しているということだろう。

よく報連相系で言われることとして、上司は、部下の報告の上でしか現場の情報を把握することができないと言われるが、あれと同じだと思う。

説明の巧拙は、相手の物事に対する理解や印象、評価をそのまま作り出す。うまい説明とは、⑴背景をきちんと説明すること、⑵「なぜ?」に応えること(理由づけを説明すること)、⑶さらに知ろうとする意欲を生むこと、といった要素を含んでいるわけだが、それに加えて、⑷ストーリーを提示することも重要になる。

まあ、概念的な理解と、共感的な理解。その両面が必要と。

 

「説明の尺度」とは、相手のトピックに対する理解の深度だ。

本書では、相手の理解度をA→Zで示していて、Aに近づけば近づくほど浅く、Zに近ければ深いということになる。

理解の深度が浅ければ「なぜ?(why?)」を。深ければ、「どのように?(how?)」を説明してあげればよい。

で、相手の理解度がどんなものなのかは、単純に、質問をしてすりあわせればよい。

これは結構なるほど、と思った。

 

僕なんかは、データの説明をするとき、相手もさすがにベテラン選手なので、割と深いhowの説明をすることが多いのだけれど、そもそも相手はビジネスについては深い知識を持っているが、データ分析に関してはほとんど専門外だ。

なので、howの説明をされても、よくわからない、という反応が返ってくることが多い。むしろ、そうではなく、「なぜ」その分析が必要なのか、というところを解消してあげなければならなかったのかな、と。そうでなければ、相手の理解にかかる負担が増えるばっかりで・・・。

その点を振り返ると、自身の説明に対する未熟さを感じたり。

 

まあ、あと内容としては、説明が失敗するのは各論すぎるとか、説明をスムースに進めるため(相手にさっくり理解させるため)には、本質と関係ないものはすべてたたき切る(背景情報までたたき切ってはダメ)とかそういう話なんだが、そのあたりの話は別によく言われることなのでいいでしょう。

 

よく言われること、当たり前のことだからといって、みんなできているとは限らないのだが。

 

というわけで、内容がわかりづらい、『わかりやすい説明をする』ための本を読みましたよっと。正直、あまり頭に入ってこなくて読んでて辛かったけど、勉強にはなった。

(個人的な感想だが、頭に入りづらい原因のひとつに、翻訳がベタすぎるというのはあると思う。ふわっとしていたり、ムリヤリ日本語にしました感があるように思えて。)